こんなテレビ番組がありました

昔のテレビ番組が大好きな映像所有者の雑記です。

1989年と私:ザ・ベストテンとオレたちひょうきん族

 最近、戸部田誠(てれびのスキマ)氏の「1989年のテレビっ子」を読みました。
 
戸部田氏と私は年齢が1つ違い(戸部田氏の方が上です)ということは、世代が同じということで非常に共感を持ちました(誠に勝手ながらではありますが...)

読後、自分は当時どんなテレビ番組を見てただろうと思い、少し振り返ってみたいと思いました。

「1989年のテレビっ子」の中にも書かれておりましたが、1989年のテレビでの象徴的な出来事として、「ザ・ベストテン」と「オレたちひょうきん族」の終了が有名かと思いますが、正直私にとってこの2番組はあまり記憶がありません。

裏を返せば、この2番組の本当に面白かった時を知らないということです。

例えば、「ザ・ベストテン」は私が記憶にある時には、久米宏氏が既に司会を降板しており、小西博之氏、その後の「世界の松下」こと松下賢次アナが司会をしておりました。
それから、ランクインされた歌手が欠席することが大半だった時代です。
それに前年の1988年には「とんねるずのみなさんのおかげです」が始まっており、そちらの方に夢中になっておりました。
それでも一番印象に残ってるのは長渕剛氏の「とんぼ」でしょうか。
ベストテンでもずっと1位だったのですが、なかなか出演がなく、ドラマの最終回の翌週に初登場した時のオーラはハンパなかったです。

オレたちひょうきん族」の場合は、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の方を見ておりました。
加トちゃんケンちゃんが始まるまでは、ひょうきん族を見ておりました、当然タケちゃんマンも見ていたかと思いますが、肝心のタケちゃんマンの記憶が自分にはほとんどありませんでした。
記憶にあるのは知っとるケの最後とパーデンネン(例の事件によりタケちゃんマンが登場できなかった時期)だけです。
その代わり、ラブユー貧乏、奈良の春日野、かまへんライダーは覚えているのですが...。

ただ、最終回は感動したのは覚えてます。感動したというよりもなにか寂しさを感じました。
EPOの「DOWN TOWN」が流れる中、出演者が全員がいなくなった晩餐会の風景は何かバラエティ番組を超越したものを子供ながら感じました。
自分にとっては不幸にも何にも思い出のない番組なのですが、そう思わせるだけでもこの番組って凄かったんだなと大人になった現在改めて思いました。

ベストテンは大人になり、映像収集を始めてから色々な方から提供いただき、久米氏が司会だった80年代の映像を見ることが出来たのですが、ひょうきん族は全く持っておりません。(その代わり土8戦争を競い合った「8時だヨ!全員集合」の方は持っているのですが...。)

是非とも、全盛期のひょうきん族を見てみたいと切に願います。