こんなテレビ番組がありました

昔のテレビ番組が大好きな映像所有者の雑記です。

39時間テレビとは何だったのか:当時の記憶(当時のテレビ雑誌の紹介記事その1)

 社会人になってからも39時間テレビに対する興味は一向に覚めやらず、当時の録画映像やテレビ雑誌などを集め始めました。

当時のテレビ雑誌は、39時間テレビのことをどのように紹介していただのでしょうか。 

24時間テレビやFNSなどは、その年の司会者が表紙を飾ったり、見開き2~4ページ位に大々的に特集記事になるのですが、今回の39時間テレビの場合はそういった特集記事もほとんど無く、どの雑誌も紅白やレコード大賞、かくし芸等毎年恒例の番組が注目され、39時間テレビは年末特番の一つとして紹介しているだけのものがほとんどでした。
「39時間も放送するのだから、もうちょっと位注目してもいいんじゃない」と思いましたけど。

TVガイド
①紹介記事(カラーページ)
 見出し「2001年まで3000日! 39時間TVで眠れない」
 「バブルも弾けて年末年始を海外で過ごす人もめっきり減少。あとはもうテレビと向かい合うしかない!?
  そんな人のためにテレビ史上初の39時間生放送番組をおススメする。
  なぜ、39時間? そう、番組の目玉のひとつ〝めぐり愛エクスプレス〟という名の特別列車が、北海道から九州へ到着するまでの所要時間なのだ。
  この列車、花嫁募集中の農村青年のお見合いの場でもある。恋のキューピット、田中義剛らの手腕に乞うご期待。
  また、変わりゆく地球と人間たちの記録、20世紀を彩った偉人の異性交遊、そして恒例の〝報道スクープ〟もパワーアップして登場。
  21世紀を迎えるまで毎年、レギュラー化するとか。カウントダウンは始まった。」
②番組表(白黒ページ)
 1.ラブリーチャンネル12/29
 見出し「年末年始にナマで足かけ3日もやるのだ!」
 「明日の夕方6時30分からは『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ』ずっとあなたに見てほしい~年末年始は眠らない、をお送りする。
  足かけ3日、ドラマ以外のあらゆるタイプの番組を放送。
  その一方で全体を貫くものとして、番組を番組を企画した農村青年のお見合い列車「めぐり愛エクスプレス」を39時間走らせ、随所に入中する。
  司会は筑紫哲也賀来千香子高田純次大槻ケンヂ相原勇田中義剛という面白い組み合わせ。
  高田は39時間出づっぱり。相原は全国へとぶ役、田中は旅館(函館の誤植)から門司港駅まで「めぐり愛エクスプレス」に乗り込んで、駅ごとに乗る女性たちとの縁結び役をつとめる。
  スタッフ・出演者は総勢2000人をこえるとあってスゴイものになりそう。」
 2.ラブリーチャンネル12/30
 見出し「時に想いをめぐらしているうち感動へと...」
 「JNN28局を結んでの39時間生放送。
  これは制作陣が「24時間なんて軽い。もっとできる」といったことから、25、26、27...と考えていき、40時間を前にしたとき、「ここらが体力の限界」という声があがって39時間になったもの。
 「年末年始は日本人が〝時〟に思いをめぐらす時期。まして21世紀への秒読みも始まっている時代です。
  身近なことから地球規模の事象まで、時をテーマに据えて、感動に到達したい」と三辺吉彦P。
  司会の筑紫哲也は「新しいことにトライするのは楽しいもの。世紀末というのは面白いもの。
  幸いこの番組は、21世紀まで毎年行う意向なのでいろんなことがやれそう。その面白い実験のハコだと思って司会役にあたるつもり」と。
  さぁて、何が出てくるか。」
 
ひとまずここまで

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